前回に続いて港区南青山の笄川暗渠探訪。
2026年立春大徒歩、青山・麻布編。
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前回は南青山三丁目から意図せず笄川の本流暗渠の路地を歩いて青山陸橋までやってきた。
しかしこの時点で僕は10年ほど前に歩いた長者丸支流を歩きたかったのだが、自分が歩いてきたルートは明らかに違うと感じていた。
そこでマップアプリを見ながらルートを再チェックして、「ここかな?」というルートを遡ってみた。
笄川 暗渠 探訪 青山陸橋から長者丸支流を源流付近まで遡る [2026年2月 立春大徒歩 その7]

▲ 左のコンクリートの橋脚が青山陸橋。
そして右側には浄土宗の寺院「広閑院」がある。

▲ 拝観させてもらいたかったが、門扉が閉じていて入れず。

▲ そして先ほど歩いてきた笄川本流とは別の道を遡ってみることに。
青山陸橋のすぐ麓になかなかワイルドな空き地があった。
港区西麻布と南青山の境界に、こんな茫漠とした場所があるとは驚きだ。

▲ そして、すぐに見つけた!住宅裏手に延々と続く暗渠を。
これが長者丸支流の跡である。

▲ 本流の暗渠は上を道路が通っているが、長者丸支流は道路に面した建物のさらに裏手を流れている。
恐らく暗渠化が遅く、先に道路が通っていたのだろう。

▲ 暗渠の上は東京都の管理になるため住宅が建てられないという。
そのため建物の裏手にひっそりと小路が続く形になっている。
住宅の境界ごとにフェンスなどで遮られているため、通行はできない。

▲ そして、長者丸支流の源流付近までやってきた。
左の橋の欄干がその名残である。

▲ 反対側から観たところ。
右側の欄干の角には、かつて不動産屋さんがあって、ご主人が生き字引みたいな人で暗渠について教えてもらったことがあった。
あれはもう20年前くらいのことではないか。

▲ 不動産屋さんがあった角から北には、暗渠らしきものは見当たらない。
正面の建物の左側の塀との間だろうか。
ただここから先はほとんど傾斜がないので、やはり不動産屋さん辺りが水源だったのではないか。

▲ そして驚いたのは、この角の不動産屋さんを含め、巨大な再開発がここでも進行中だったこと。
町が丸ごとなくなってしまう。

▲ 北側にはもう1本路地があった。
これも暗渠にしてはまっすぐすぎるし傾斜がない。

▲ グッと低くなっていく土地に巨大なマンション群ができるようだ。
でも良く見ると、暗渠の部分はやはり建物は建てず、小路として残すようだ。

▲ 右奥に向けて、延々と再開発エリアが続いている。

▲ この小さな十字路から南、暗渠側は南青山4丁目になるとのこと。

▲ というわけで、いま歩いてきた長者丸支流沿いの道を歩いて青山陸橋まで戻ってきた。
ここは僕が子供のころは「自分の行動範囲の一番遠くにある公園」だった、「三角公園」。
この公園までが西麻布で、陸橋の向こうが南青山になる。
子供の頃はそんなことは関係なく遊んでいたわけだが、不思議とこの公園より向こうには、ほとんど行ったことがなかった。
同級生もこの先には住んでいないし、子供が遊べる公園もないから行く用事もなかったのだろう。

▲ 当時の「三角公園」は、今では「笄自動遊園」という立派な名前になり、看板も立っていた。
「笄」の名前を冠してくれてありがとう。
ここは笄町の北の端なので、こうやって公園などに「笄」の文字を入れてくれないと、地元の子供たちもここが「麻布笄町」だったことを知る機会もほとんどないだろう。
三角公園でちょっと休憩した我々は、続いて笄川の西麻布エリアへと進む。

▲ 一つ前の記事でも紹介させてもらった、こちらのブログに掲載されている地図。

この記事では我々は、中央やや上の「東京メトロ千代田線」の「ト」の文字あたりから、左上の「長者丸支流」を遡り、細い点線になる辺りの再開発工事まで行き戻ってきた。
青山陸橋付近で本流と長者丸支流が合流し、さらにこの先で「根津邸支流」も合流して西麻布交差点へと向かう。
我々は本流に沿って西麻布交差点を目指すことにしていた。
つづく。
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著者/出版プロデューサー/起業支援コンサルタント/ブロガー/心理カウンセラー。
あまてらす株式会社 代表取締役。
著書に「やってみたらわかった!40代からの「身体」と「心」に本当に良い習慣」「起業メンタル大全」「「好き」と「ネット」を接続すると、あなたに「お金」が降ってくる」「ノマドワーカーという生き方」など全9冊。
神奈川県鎌倉市の海街在住。