東急目黒線の不動前駅近く、目黒区下目黒にある「目黒 比翼塚」を訪れたのでご紹介。
この日は「2026年 立春大徒歩」と称して不動前駅をスタートし、目黒不動尊へと向かった。
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この日は12時に目黒駅でお友達と待ち合わせており、僕は1時間早い11時に不動前駅に降り立った。
事前にマップアプリでルートを検討し、目黒不動尊に行くことにしていた。
一つ前の記事で書いたとおり、当時の僕が婚約していた恋人が不動前駅近くに住んでおり、週に1〜2回は訪れていた。
しかし当時目黒不動尊を訪れることは一度もなかった。
二人とも当時は若すぎて、寺社仏閣よりも自分たちの恋愛にあまりにも夢中だった。
「不動前駅」の「不動」が何なのかを考えることすらしなかった。
そんな日々から36年が過ぎ、「せっかく不動前にいくなら目黒不動尊に参拝したい」と思ったのだ。
そして目黒不動尊に近づいた時に、門前に並ぶ赤い幟に気付いた。
それが「目黒 比翼塚だった。
さっそく紹介しよう。
目黒 比翼塚 訪問レポート 〜 目黒区下目黒 目黒不動尊前にある心中した男女の幸せを願う塚 [2026年2月 立春大徒歩 その2]

▲ 正面に見えているのが目黒不動尊の山門。
遠くから近づいてきた時点では、目黒不動尊の境外社(これは神社の表現だけど)かと思った。

▲ 近づくと幟に「稲荷大明神」の文字が見え、「あれ?神社なのかな?」と思いつつ近づく。

▲ そしてここが「目黒 比翼塚」であることを知った。
この時点では知らなかったのだが、「比翼塚」はここ目黒だけのものではなく、各地に存在しているそうだ。
Wikipediaによる「比翼塚」の解説を引用する。
比翼塚(ひよくづか)は、愛し合って死んだ男女や心中した男女、仲のよかった夫婦を一緒に葬った塚。墓。めおと塚。悲恋とともに伝わる例が多い。一緒になれなかった二人を死後、一緒に祭ったものも多く、古事記の時代から江戸時代のものまで各地に残る。

▲ こちらは恐らく目黒区が設置した説明書き。
この目黒 比翼塚について、「さんたつ by 散歩の達人」サイトに詳しい解説が載っていたので引用する。

白井権八(本名・平井権八)は、江戸時代初期に実在した元鳥取藩の武士です。
実父を侮辱した同僚を斬殺し、罪を逃れるために向かった江戸の町で、権八はある女性と出会います。
その女性とは、新吉原にある三浦屋の遊女・小紫。
小紫は和歌が上手く、教養のある優雅な優しい女性で、江戸一と評判の高い花魁でした。
二人は互いに惹かれ合い、深く愛し合うようになりますが、最高位の遊女である花魁の小紫に会うには、その度に莫大な資金が必要です。
困窮した権八は、小紫に会う資金を調達するため、130人もの人を殺め金品を奪うという犯罪に手を染めるようになります。
やがて権八は辻斬りで捕らえられ、25歳の時に品川の鈴ヶ森刑場で処刑されました。
権八が死んだことを知った小紫は嘆き悲しみ、吉原を秘かに抜けだし、権八の墓前で自害したと言われています。
上記引用によると、江戸に来た時点ですでに殺人を犯していた人物だったようだ。
現代だと、これが悲恋の物語にはならないと思うが、時代が違うということだろう。

▲ こちらは誰が設置したのか不明な立て札。

▲ 赤い幟が立っていた「稲荷大明神」はこちら。
どうも宗教施設というよりは、江戸風俗を伝承する名所旧跡という趣だ。
こういう場所の管理は誰がどのように行っているのだろうか。
まとめ
いずれにしても、このような機会がなければ「比翼塚」という言葉を知る機会も、この場所を訪れることもなかった。
130人を惨殺した男が吉原の花魁とあの世で幸せになるべきなのかは現代の感覚としては微妙だが、歴史の話と思い見守ろう。
つづく。
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著者/出版プロデューサー/起業支援コンサルタント/ブロガー/心理カウンセラー。
あまてらす株式会社 代表取締役。
著書に「やってみたらわかった!40代からの「身体」と「心」に本当に良い習慣」「起業メンタル大全」「「好き」と「ネット」を接続すると、あなたに「お金」が降ってくる」「ノマドワーカーという生き方」など全9冊。
神奈川県鎌倉市の海街在住。